映画関連情報 2018.5.21

「エッセイのように、映画を撮りたい」『四月の永い夢』中川龍太郎監督インタビュー

皆さん、こんにちは。5月12日(土)より全国劇場公開されている映画『四月の永い夢』。徐々に各地で話題となっている本作ですが、既にご覧になられましたでしょうか?

モスクワ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞とロシア映画批評家連盟特別表彰のW受賞という快挙を果たしたこの作品。監督・脚本を担当したのは、平成生まれ、弱冠28歳の中川龍太郎さんという若い監督さんなんです。

詩人・エッセイストでもあり、大学の文学部に籍を置きつつ独学の映画作りで才能を発揮してきたという異色の経歴を持つ、この中川監督に、今回はじっくりお話を伺わせて頂きました。

ありがとうGAGAさん、ありがとう中川監督!

『四月の永い夢』圧倒的な映像美とファンタジックな世界観

前作・本作と拝見させて頂いて、まずはじめに思ったのは、映像が圧倒的に美しいなあと。本当に1カット1カット大事に丁寧に撮られているなあと思ったのですが、一体普段どのように画づくりされているのでしょうか?

低予算映画の現場で、時間をかけて撮るというのはなかなか難しいので、ロケハンは頑張りますね。もの凄くロケハンには時間をかけますし、カメラマンとも撮影現場で揉めないように、事前のロケハンの段階で散々揉めていくようにしています。

なるほど。しっかりと事前準備をされているという事ですね。

今回は平野礼君という同年代のカメラマンに撮ってもらったんですけれども、非常に優秀で、彼と色々な意見を戦わせながら、ロケハンで頑張りました。

©WIT STUDIO / Tokyo New Cinema

本作の世界観を作るにあたって、参考にされた作品等はありますか?

影響を受けた作品でいうと、小栗康平監督の『埋れ木』を自分はイメージをしていて、現実の世界を描いているのに、ファンタジーっぽいというのが、『埋れ木』のコンセプトなんですね、恐らく。それをこの作品では挑戦したかったんです。もちろん『埋れ木』のレベルまでは、到底到達は出来ませんが、やりたかったのはそういう事です。特に染物工場のシーンなんかはそうですね。

あの揺れている手ぬぐいなんかは、本当に美しくて印象的でした。

僕がこの作品を観たのは小さい頃だったんですが、夜中にケーブルテレビで『埋れ木』が放映されていたんですね。うとうとしている時の夢うつつな感じと、映画の夢うつつな感じが共鳴して、まるでその映画の中にいるんじゃないかと感じたことがあったんです。それは幼いからそう思ったのかもしれないですけれども。もしこの映画が上映されたり、ケーブルテレビで放映されたら、たまたまそれを見ちゃった子供が、そういう風な印象に残る場面にしたいなあと思ってあのシーンを作りました。

他にも、初海の部屋のラジカセや扇風機等、どこかレトロな美術も何かファンタジックな世界観を感じさせらました。

あの初海というキャラクターは美意識が高いんですよね。美意識というのは突き詰めるだけ突き詰めれば、偏狭的になっていくというか自閉的になっていくじゃないですか。そういう彼女の一歩前に出られない精神性を表現する為に、古いものだったりオシャレなレトロさというものが前面に出た部屋を作ったんですね。実際に動くものを持ってくるの、凄く大変でしたよ(笑)。そういう事をやる事自体が、彼女の一種のこだわりの強い、外とあまり適応出来ない時間を表すのかなと。

詩と映画の共通点とは?

ところで、前作の『走れ、絶望に追いつかれない速さで』は亡くなった男の親友、今作『四月の永い夢』は亡くなった男の彼女、という視点から描かれていますが、どちらの作品も肝心の彼の死んだ理由についての明確な描写がなされていません。これはどうしてなのでしょうか?

これらの映画の主題は、死んだ人間ではなくて、生きている人間についてなんです。だから、彼がどうして死んだのか?という事を描くと、それ自体に物語が引っ張られてしまって、前作の太賀だったり、今回の朝倉さんが演じる主人公が、結果的に立たなくなっちゃうんじゃないか?と思ったんです。それが、まず一つの理由です。

なるほど。

もう一つは、僕は生まれるという行為はパブリックな行為だと思うんですね。逆に死ぬというのはすごくプライベートな行為だと思っていて、その「死」という事に、理由づけは出来ないと思っているんです。
これは北野武監督が言っていたと思うんですが、例えば「孤独死」。一人で死んで、そのまま野ざらしになっていたかもしれないけど、でも孤独だったかどうかはわからないじゃないかと。

確かに。

僕もそれはそうだなと思っていて、自殺して死んだ人間は悲しいとは限らないじゃないですか。最もプライベートな行為が死ぬという事なのに、そこの理由を他人があまり決めつけるべきじゃないなという風に思っているんです。僕も実際に親友が自殺した理由はわからないし、直前まで親友と電話をしていたりしましたし。本当にわからないんですけど、類推しようと思ったらいくらでも出来ますよね。それを類推しようと思ったところで、それを当てはめて決めつける事は、彼に対して失礼なんじゃないかなと思っていて、だからこういう形にしているという面もあります。

それ以外に中川監督の映画には何かこう、シーンとシーンの行間を読むというのでしょうか、敢えて説明し過ぎない事で、観ている側はより一層、想像力を掻き立てられるという事があるように思います。

僕は、詩と映画というのは結構似ているなと思っているんです。小説と映画よりも、詩と映画の方が似ているんですよ。小説と映画よりも、詩と映画の方が似ているんですよ。それはどうしてかというと、小説というのは、ある種の心情描写であったりとか、長い物語を語るんですね。だけど映画の2時間の長さの中で語られるストーリーって結構短いじゃないですか。例えば桜と菜の花の中で、喪服を着た女性が寂しげな眼差しで立っているという絵を見せたら、あのすごい色彩の中に生命が立っているという事で、自分で想像を広げるじゃないですか。

©WIT STUDIO / Tokyo New Cinema

確かにあのオープニングカットからは、色んな妄想が膨らみました。

それをやるのに、一瞬一枚の絵で十分なわけで、そういう意味では、詩も結構似ていますよね。文章の余白ですよね、余韻。一種のすごく強いパワーワードと、そこから広がる世界観、余白、想像力を喚起させるもの。むしろ伝えるのではなくて想像力を刺激するというのが、映画とか詩の力だと思っているので、そういう意味では映画と詩は、非常に近いんじゃないかなと思っています。

だから、ラストカットもああいう終わり方だったんですね。

そうなんです。例えばあそこから初海が東京に帰って、志熊に電話をするシーンを入れると考えると…

なんか、嫌ですね(笑)。映画が台無しになってしまいます。

もしかしたら、うまくいかないかもしれないですよね、あの2人は(笑)。志熊の方は付き合ってみたら、あっ初海は面倒な女だなと。やってらんないなってなるかもしれない(笑)。

現実にはそういう事あります。付き合ってみると、思っていた人と違って、別れてしまうと(笑)。

©WIT STUDIO / Tokyo New Cinema

映画のメインプロットに直接的には関わらないものが登場する理由

そういえば、この映画で面白いなあと思ったのが、ヒロイン・初海の教え子の楓という存在です。彼氏にDVを受けていたという経験を持つ女性ですが、その悲しい出来事があった後も、すぐにお祭りではしゃいでいたり、ライブをしたりと、非常にメンタルの強い女性だなあと感じました。さりげなく初海もそんな彼女から影響を受けて、前に進むきっかけの一つとなったんでしょうかね。

そうですね。

前作の『走れ、絶望に追いつかれない速さで』もそうでしたが、監督の脚本には一見メインのストーリーとは直接的には結び付かないような人物や出来事が出てくると思います。この辺りに何か想いはあるのでしょうか?

結局「走れ、絶望に追いつかれない速さで」も、「四月の永い夢」もエッセイみたいな映画にしたいなあと思っていて。人間が成長する時期って、例えば受験で合格するという話を作った時に、普通は受験に受かるまでのエピソードを書くじゃないですか。家族とか予備校の先生の話とかね。

ええ、普通はそうですね。

でも僕はこの2作品で挑戦したかったのは、ここに到達する為には、物語的には直接的に関係の無い別の要素が、実はこの段階の変化に非常に大きい影響を与えているんだと。そういう考え方で、この作品は、物語形式の中では、楓の話が恋人の死から立ち直るという話とどう結びつくんだろうと、物語的に繋がりづらく見えても、僕はきっと、そこに関係性があると思うんですね。

なるほど。

例えば何かある問題が解決する時って、たまたま天気が良かったからとか、風が良かったからとか、それまで何年も悩んでいたことが、ふとしたきっかけで、一気に解決しちゃったりする事とかってあるじゃないですか。そういう直線的では無いというか、色んな要素がいっぱいあって、それで人生って変わっていくものだと思うから。その要素そのものを物語の為にバッサリと切ってなくすのではなくて、もっと緩く残していくものを作りたいと思っています。

「人生とは、失っていく事」あのセリフはどこから?

人生といえば、この映画でやはり一番強く脳裏に焼き付いたのは、終盤に初海が憲太郎の母から言われるセリフです。

あのセリフだけは自分とは離れたリアリティの中から出てくる言葉にしたかったんです。あれは人生の先輩が諭すというセリフだから、そこのセリフまで自分で作ってしまうと、自分で自分を説教しているみたいになっちゃって、嘘くさくなるなあと思ったので、こうなりたいなあという人の言葉を引用したいなあと思って、『バードマン』のイニャリトゥ監督と押井守監督の言葉を混ぜて作ったんですね。

そうだったんですね!

ただ、あれは自分の実体験としても、とても納得感のある言葉で、前の作品を作った時は、一番親しい友人を亡くしたので、しかも大学を出るタイミングだったので、学生時代が終わって社会人になった時に、彼を超えるような友情が、新しく人と結べるのだろうかと不安になっていたんです。その時に太賀と小林竜樹という俳優に出会い、彼らと新しい友情を築けるのかという自分の人生にとっての挑戦でもあったんですね。あの作品を完成させる中で、彼らと深い友情を築けるようになりました。彼を失っていなかったら、この映画を作る事はなかったわけだから、彼らと出会ってたかどうかもわからないわけで、失う事で、新しい事に気付いたりだとか、自分の心を豊かにする為の肥料になったりする事って、きっとありますよね。

今後の作品に関して

今後も中川監督の心の中では、ご自身で脚本を書いて、いわゆるオリジナルの映画を作っていきたいという想いがあるのでしょうか?これだけ映像を美しく表現出来る方なら、プロデューサー・原作者や小説家等、色んな方から作品を映像化して欲しいというオファーも、今後たくさん出てくるのではないかと予想します。

いやいや。僕が思っているのは、オリジナルかどうかって事は、原作があるかどうかじゃなくて、それがきちんと映画という文脈に置き換えられているかどうかだと思うんです。例えば『砂の器』とか。原作の小説はあるけれども、それが映画の世界として成立するものになっているなら、これはオリジナルと言っていいと思うんですよね。

なるほど!

そういう意味では、映画とは何か?というのは難しいけれども、映画というメディアでやる所まで、翻訳出来るのであれば、原作ものであっても、それこそ少女漫画の原作であっても、僕は良いと思っているし、そういう仕事に対して僕は必ずしもクローズドではない。

そうなんですね!

自分自身これまでこれだけ作ってきて、やはりネタも被ってきている事もあるし、新しいものに挑戦したいという想いはあるので、これからはちょっと自分にルールを課して、途中で人が死なないとかですね(笑)。今後はそんな感じのルールを課してやる必要はあるんじゃないかなと思いました。

ぜひ今後の作品も期待しています。今日は本当にありがとうございました!

こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。

最後に

映画の作風や扱っているテーマの深さから、お会いする前は、非常に真面目で、もしかしたら神経質な方ではなかろうか?と危惧してしまったりもしましたが、実際にお会いした中川監督は、そんな不安も一瞬で吹き飛ぶ明るく気さくな方で、非常に話しやすい監督さんでした。

最後にこれからも新しい作品にどんどんチャレンジしていきたいと語っていた中川監督。今後も良い意味で、我々の期待を裏切ってくれる映画を撮り続けてくれる事でしょう!中川監督の今後の作品にも目が離せません!

さて、映画『四月の永い夢』ですが、大阪・シネ・ヌーヴォ、京都・出町座、兵庫・元町映画館等で絶賛公開中です!まだご覧になってない方は、ぜひ劇場へ!!

■『四月の永い夢』公式HP

http://tokyonewcinema.com/works/summer-blooms/

PICK UP

ピックアップ記事

スポンサードリンク

NEW

新着記事

RANKING

人気記事ランキング

MORE